MYTH 13:悧里 爽やかな陽射しに目を開ける。 暖かい陽射しだった。 気分も、自然と良くなる。 [悧 里]「んーっ……」 誰かが言った。 物事は、常に表裏一体だと。 だから、善いものは善いと思えるし。 悪いものは悪いと思えるのだ、と。 [悧 里]『清々しい…反吐が出るほど』 ため息混じりに呟く。 それでも、陽射しを心から『良い』と思えてしまう自分に不快感を思えてしまう。 [悧 里]『………』 襖を開けて、外を見る。 [悧 里]『……山……池……木……雀……』 良い風景だった。 |
朝食作り。 日課だった。 いつものように、棚から調理器具を取り出す。 不思議だった。 いつも、使いっぱなしの調理器具が、気が付くと所定の位置に戻っているのだから。 毎回。 食器を洗う人が居なくなった、今でも……。 [悧 里]『……』 皮肉なものだ。 こんな身近な所にも、矛盾が生じている。 どうやら、この物語の作者はディティ―ルを気にしないらしい。 意思を取り戻した一巡目に、早くも感じていた事だった。 [悧 里]『…三下め』 誰か(・・)に気付かれぬよう呟くと、私は朝食の準備に取り掛かった。 |
[悧 里]「朝食の準備が出来ましたよ」 笑顔で襖を開ける。 毎日の日課だ。 これも、毎回変わらない。 今回に限らず、前回以降の朝食も私が作っていた。 どうやら、悧里は料理の才を持っているらしい。 ……実際はどうだろうか。 経験は無いが……悧里の行う製作過程を見る限り、容易い作業だった。 [悧 里]「……元気、ないですね」 がらんとした、空間で。 [悧 里]「笑ってください、命人さん」 台詞を吐く。 [悧 里]『………』 それは、喜ぶべき事態だった。 やはり。 やはり、あの子は。 [悧 里]『異質』 なのだろう。 でなければ、このような台詞も吐く事はないのだから。 [悧 里]『………』 誰も居ない空間。 そう認識出来る事実。 私にとって、それは。 喜ばしい、イベントだった。 [悧 里]「いただきます」 誰も居ない部屋で。 二人、朝食に箸を付ける。 [悧 里]『……』 無言は、良い。 まるで私のようだ。 もしかしたら……私は……本当の悧里は孤独も好きなのかもしれない。 新しい発見だった。 一巡目。 それが、現在。 『認識』してからの私には、新しい『何か』が確実に芽生え始めていた。 それは、自己を客観視する事が出来たから。 悧里というキャラクターの中にも、確かに『私』がいると分かったから。 そして、洞窟の、先で感じる。 ……。 全ては―――新しい、『私』だった。 人形が、人間になれる確率は零。 でも、そこに意思が介在したら? それは、果たして人形と言えるのだろうか? [悧 里]『……ふふ……』 可能性ある想像は楽しい。 それは、今日も私を生かしてくれる。 精巧に出来た人形でしかない、私を。 [悧 里]『……田辺、命人』 『何か』が芽生えた、最後の起因。 彼は一体何者なのだろう? 彼の目的は何なのだろう? 現時点では、全てが定かではない。 本人も、まだ分かってはいないようだ。 ……自分が、どれだけ『重要な配役』であるかを。 彼はもしかしたら、この物語の主役かもしれない。 ……彼に、真実を伝える必要がある。 彼がどう思おうと……何を感じようと。 でなければ、無意味なのだ。 私の存在なんて――ただの、瞳さえまともに動かない人形に過ぎないから。 ……だが、現在――彼は。 自室に閉じこもっている。 『田辺命人』という、重圧から守るために。 それがシナリオかどうかは非常に明白。 ……何かが変わり始めているのだ。 確実に。 [悧 里]『………希望、か』 輪郭の無い言葉だった。 |
[悧 里]『………』 今、私に出来る事。 それは、彼を立ち直らせる事なのだと思う。 だから、私は田辺命人の部屋の前に居る。 ――トントン 襖を叩く。 開かれる空間には、未知が広がっている。 ……この襖の先は現実だ。 だから、何が起こるか分からない。 返事が返ってくるかどうか、さえ。 ……。 いつまで待っても、返事はない。 ……。 これこそ…現実感。 何も起こらない。 きっと、ここに居れば、何も起こらずに一日が過ぎる。 出来事も無く……馬鹿みたいに、ずっとここに居れる。 それが、まさに、現実なんだ。 [悧 里]『…』 夢のような出来事に憧れたが…すぐに打ち払った。 それが出来れば、田辺命人に対して干渉をする必要さえないのだ。 [悧 里]『影なし坊主……生きてるか?』 障子越しに呟いてから、自然と笑みが出てしまう。 …田辺命人は、死ねない。まだ(・・)、もう少しの間は。 3回、足でリズムを取った後、襖を開けた。 [悧 里]『田辺くん』 彼は、確かに居た。 部屋の中心に。 シーツに包まって。 爪を噛んでいた。 そして、薄ら笑いを浮かべながら。 ただ、ボゥと天井を見て。 叫ぶ。 [命 人]「わぁぁぁああああ!!!!』 その姿は、まるで終りを知った人間のようで。 とても滑稽だった。 [命 人]「ああぁぁあ…あひぃぃぃひやはあっは!!』 何か。 何かアクションを。 期待する。 [命 人]「はぁー…はっ…はは…あはははは!!』 彼は動こうとしない。 世界さえ見ようとしない。 ましてや、私なんてもっての他だった。 彼はただ、空を見上げて……笑っているだけ。 生きた屍。 そんな言葉が、ピタリと符合する。 [悧 里]『……田辺くん』 もう一度声をかける。 状況は、相変わらず、無。 ……彼を、立ち直らせる。 それが現在の私のすべき事―――それは、分かるのだが。 明確な対処法は無い。 アグニ界においては、容易かった。 超力を試用すれば、他人の思考を読み取り意思を介入させることなど簡単だ。 だが、この世界においては…皆無。 考えてみれば当たり前だ。誰も、自らの意思で動いていないのだから。 それは田辺命人においても例外ではない。 [悧 里]『意思、か』 私がどう思おうと、私の意思とは反して、悧里は行動している。 だから、私は成り立っている。 悧里という個性として。 だが、そこに葛藤が生まれている。 同時に、選択肢も。 有り得ない。 有り得ないが、ありがたい。 そう思える自分が。 [悧 里]『……』 彼は、そうは思えないのだろう。 ……多分、意思の脆弱さから。 本当の田辺命人は…自らの意思さえ許容しようとしないのだろう。 ……いったい、どのような男なのだろうか。 [悧 里]『……』 知る術はない。今は。 [悧 里]「命人さん。ちょっと、出かけませんか」 [悧 里]『……』 用意された選択肢に沿う暇はない。 [悧 里]『おい……いいかげんに目を醒ましたらどうだ?』 私が、私として在る為には。 選択肢はいつだって、その向こう側にある。 [命 人]「ひゃあっはは!! ははは!!』 少年が、笑う。 [悧 里]『……正気に戻りそうも無い、か』 真実の吐露をする余地もないようだ。 [命 人]「あひぃー!! ひぃぃぃ!!!』 …まぁ、いい。 彼が意識を取り戻したら、セーターという契機と共に超力を試用する。 セーターという世界観から逸脱した衣服によって、田辺命人は混乱するはずだ。 その混乱から、強制的に自我を引き抜く。 ……理屈だけで言えば可能性が無いわけではない……だが、どうなるか。 ともかく、その時が来たら試してみるしかないだろう。 [命 人]「ひゃはっ!!』 …本来なら。 彼なりに葛藤し、彼なりの答えを見つけだす必要があるのだろう。 恐らく、それが一般的な正解だ。 だが、ここでは不正解。 此処は如何せん、やって来るのが早い。 即ち……『終り』が。 私が消滅するまでに……記憶を戻される前に。 彼に、何とか現実を『受け容れて』もらわなければならない。 [命 人]「うふいい!!」 少し、酷に思ったが。 [悧 里]「……」 そんな感情を俯瞰で見れる立場では、今はない。 |
家を抜けて、外に出て。 私『達』は草原にやって来ていた。 無駄な抵抗はしない。為すがままに行動させた方が賢明だ。 そんな事を考えながらも、私は空と会話していた。 誰も居ない誰かに向けて、微笑を向けていた。 恐らく、田辺命人という少年に対して。 …。 ……。 |
真っ暗なそこは、少しだけ神秘的に感じられる。 私は田辺命人と洞窟に来ていた。 [悧 里]『――っ』 途端、襲い掛かる記憶。 記憶という名の凶器。 いつか梓門という少女が、シナリオの狭間から私を此処に誘った。 13日ほどの事である。 何をするのかと思えば。 …。 脳内に浮かび上がる……偶像、偶像、偶像。 洞窟の反響が、まるで脳内物質と共鳴するように。 懐かしいミタカミが浮かんでは消えた。 |
現在も同じ現象が起こっている。 現在、脳内にインシの里、私の屍が浮かんでいる。 それが、この現象の不思議な点だった。 過去ならまだ、合点も行く。 これは何かを起因にして発生した『回帰』であると頷ける。 だが……目の前に見える屍は何だ? この軍勢は? 多勢の中から顔を見せる、無夢と明は? どうしてだ? どうして二人は泣いているのだ? これは偶像か? それならば…やめてくれ…。 私の屍を見て涙する者など、居ない。 誰一人。 だから、お前らはそこにいる多くの軍勢達と共に笑え。 笑ってくれ……『冷鬼』と。 私情に超力を試用した、背徳の徒と。 頼むから……泣かないでくれ。 明が私を抱きしめる。 もう動かなくなってしまった私を抱きしめながら、瞳から涙を零す。 無夢は、明の肩にゆっくりと手を置いてから。 私の瞳を、その掌で静かに閉じさせてくれた。 ――悲しみに満ちた表情が、簡単に安らかなものへ変わった。 ふと、ある日の無夢の言葉が脳裏を過ぎる。 それは、超力によって得た、私に対しての無夢の心情だった。 [無 夢](――) …インシが憎かった。何より綺姫が憎かった。 だから、私の生きる理由は一つしかなかったのだ。 [悧 里]『愚か者……』 ……気持ちを抑制してでも、為すべきと思っていたのだ。 何もかもが、私の、大いなる、勘違い、だったのだ。 [悧里]『笑えよ……』 こんな私を。 導ける力を持ちつつも、誤ってしまった外道を。 冷鬼と。 笑ってくれよ……。 |
田辺命人と会話をしていた。 もちろん、彼は居ない。そんな名前のキャラクターと会話をしているのだ。 ……構わない。 私が、悧里を演じる事の、目標。 舞台からの脱出―――自分自身の奪還。 場面はなかなか切り替わらない。 だから私は、暇潰しに妄想をしていた。 |
海。 潮の鳴き声に併せて聴こえてくる、綺姫の笑い声。 どんなに成長しようが、その場所は変わらない。 綺姫の懐かしい笑顔がそこにはあった。 超力を抑えつつも尚、聞こえてしまう。 (――楽しい。嬉しい) ……私もだ。綺姫。 潮の満ち引きを眺める傍観者が増える。 無夢と明が隣で笑っている。 私と無夢は手を繋いでいて。 やはり、無夢の声が聴こえてくる。 (――幸せ。好き) ……こうありたい。 勿論、これは妄想。実際はこんな耽美な世界は存在しない。 たまには喧嘩をして、涙を流して、悲しみに拉がれる。 それで良い……悲しみしか存在しない世界より、幾分もましだ。 喜びしか存在しない、此処(MYTH)よりもましだ。 劣悪と幸福が同居する世界……刺激。 それが良いんだ……。 統治者として、再び手腕を振るう機会があるとすれば。 『冷鬼』からの脱却……綺姫や無夢や明との楽しい日々、再起。 そんな妄想が実現されなくとも構わない。 いや…構わない、と言えば嘘になるが……でも、それ以上に。 …。 ミタカミの民の為に……為したい。 自己犠牲ではなく…当然の義務として。 統治者として…成立したい。 ミタカミの全ての民が、そんな思いを抱ける世にしたい。 [悧 里]『したい』 それがアグニに選ばれた統治者としての誇りと……能力であると私は確信している。 インシが超力者を蔑むでも、逆でもない。 平等たる刺激が存在する世が……世として正しい。 その土台を作りたい。 私なら出来得る。 自らの欲望を捨てれば、それが為されるというのなら……喜んで捨てよう。 私が苦痛を見るのは仕方ない。何が起こっても許容する。 ただ、統治者として、後悔のないように……今度こそは生きたい。 [悧 里]『…』 [悧 里]『変えてみせるぞ……』 私は誰かに告げた。 そこにはおどける田辺命人と微笑む私しか居なかった。 でも。 [無 夢]「立派だよ」 脳内で無夢が言ってくれた。 [綺 姫]「…それよりも貝殻返してよっ」 脳内で綺姫が拗ねていた。 [ 明 ]「……ほう。言うようになったな」 脳内で明が関心する。 [無 夢]「……」 脳内で無夢が無視をする。 [綺 姫]「素敵ね」 脳内で綺姫が言ってくれる。 [ 明 ]「……夢見事を」 脳内で明が呆れている。 鳥肌が立つほどに。 彼らは、私の脳内で無限大の返答をくれる。 そんな気まぐれ。 今は何よりも……嬉しい。 |